江戸時代の庶民(町民)の給料や年収は現代に換算すればいくらだった?

東京駅の風景写真

江戸時代の生活で、町民の(庶民)の暮らしで、賃金というか年収って、現在の金額に換算すると、いくら程度だったんでしょうか?

江戸時代の文化での庶民というと、大工さんやあの行商のかたとか・・それと農民も。

現代の日本は、GDP世界3位ですごく豊かに感じますが、低所得者世帯が3割以上もある、ある意味格差社会と言えるかもしれません。

江戸時代って、庶民や町民や、農民の暮らしって、食事も含めて豊かだった?
いえいえ・あの時代劇の悪代官様のイメージでは、高い年貢で生活苦に喘ぐ農民のイメージが強いのですが・・

現代に換算すると、どの位の年収だったのでしょうか?

その辺を、考察してみようと思います。

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江戸時代のしょっみんって、鋳物日本の現代の庶民と比べて、年収て高かった?

いえいえ低かった??

でも年収にとらわれない、物価という考え方もありますから、年収だけでは測れないかもしれません。

が・・やはり給与基準で、考察してみようと思います。

Contents

江戸時代の町民・庶民の年収は幾らほどだった?

さていくらなんでしょうか?
私は、その時代にタイムスリップできませんから、今の文献をあたるしかありません。

資料で「文政年間漫録」というのがあるんだそうな。

その前に江戸時代のお金は

1両=銀60匁=銭6~7貫

だそうで、コメ1石=60㎏換算2.5俵=1両

で、ほぼ換算されたそうです。
なお

1両=10万円(現代のお金で)

がほぼ目安だったようです。

が・・同じ江戸時代でも、物価の変動や小判お金の含有量などで、かなりの変動があったようです。
幕末には、1両の値段が一桁万円のようでした。

諸説あって、当初は14万円前後・・幕末は一桁・・なので平均をとって、ここでは10万円にして話を進めます。

 

江戸時代の大工さんの年収は?

 

ということで、上記の「文政年間漫録」に、どう書かれているのか、ここでおさらいしていこうと思います。
文政ということなので、1820年ころのころの資料です。

収入=5匁4分(1匁2分は飯代)*294日稼働=銀1588匁
これは両に直すと:約26.46両になります。

現代の金額で1両=10万円ですから

約2,646,000円になります。

この年収、どうおもいますかか?
では・・経費の算出までしてるか所から引用してみます。

●支出
○店賃     銀120匁  - たなちん(部屋代)です
○米代     銀354匁
○塩・味噌・醤油・油・薪炭 銀700匁
○道具・家具 銀120匁
○衣服     銀120匁
○つきあい費 銀100匁
●残りは、銀74匁です。

(出典)小野武雄、「江戸物価事典」、展望社、1980
【原典】栗原柳庵、「文政年間漫録」

残ったのは、銀70匁ですからこれは

1両=60匁

ですから
残りは=116,600円

程度です。
これはちょっと厳しいですね。
楽ではなかったですね‥江戸時代の大工さんは。

 

江戸時代の行商の方の年収は?

 

こちらは結構な高給取りだったようです。

年間実働日数290日で・・

一日の売り上げ1300文ー仕入れ700文=600文(売上)

600文*290日=174000文

1両=4000文

で収入は:43.5両:435万円

これはすごいですね。
やはり商人は稼げたんですね~~

が・・生活の内容が、載ってません。
が、必要経費が大工さんと同じと考えれば、、結構な高給取りだったと思います。

ドラマ、一心太助の場合でも、確かこの魚売りの行商は、縄張りがあったような記憶があります。

・・・・・・・・・・

これは江戸打紐というものなのですが、何に使うものでしょうか?
江戸打紐???
さて??

江戸の名物は江戸切子。
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そんな考察です。

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・・・・・・・・

江戸時代の農民の年収は意外に裕福なのは見掛け倒しだ!

問題の農民の暮らしですが、これはやはり御代官様の世界に近いですね。
やはり、当たってます・・テレビの時代劇は。

同じく「文政年間漫録」からです。

条件は

  • 耕作:田1町
    畑:5反

これで中流の農家なんだそうな。

1:収入:コメ20石、麦6石、大根2万5千本

んで・・

コメと麦は年貢のほかは1石1両で売却
大根は銭135貫で売却(一本当たり5,4文)

この場合の条件は夫婦に子供一人です。

●支出
○年貢、地代
年貢 米5石、畑分年貢 銭3貫。
地主への地代 米5石。
○田畑諸掛り - 生産のための諸経費です。
種穀 米1石、肥料 銭50貫文、
運賃 銭40貫文、舟賃 金2.5両、
日雇いの賃金 米5升、麦1.8石、金1.5両。
○主食費 - 麦が中心の主食でした。野菜類は自給していたのでしょう。
米1.9石、麦3.6石。
○衣食住費
塩・茶・油・紙 金2両、農具・家具 金2両、薪・炭 金1両、衣料 金1.5両。
○交際費
正月の餅など 米5斗、年末年始の費用 金2両、親戚とのつきあい 金1両。
(出典)小野武雄、「江戸物価事典」、展望社、1980
【原典】栗原柳庵、「文政年間漫録」

年貢が、地主に5石、そして政府に5石取られて20石の収穫の半分が持っていかれます。
これってあり??

これはないだろう‥って、現代なら大暴動になるレベルですね。

上記の残りは:たったの1両:10万円

です。
が‥現実は、その文献にはこう書かれているそうです。

「余すところ金二、三分に足らず、ゆえに風寒暑湿に冒し、一、二月も(仕事を)怠るときは収穫に損ありて、医薬の価に充てるに足らず」

ハア・・私も兼業農家なので、我が家の先祖もそうだったのか?
そう思うと心苦しいですね。

ただし、同じ農家でもウハウハなのが

「庄屋」(地主)

なんだな。
自分は何もせずに、5石の地代が入ってくるんです。
この上から順番の、ピラミッド・・・ますますため息が出るんだな~~~

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江戸時代の庶民や農民の年収のまとめ

物価はどうだったのでしょうか?
諸説あるようですが、ほぼ現代と同じように思いました。

しかし、ぶっ飛んでるものありますが・・・

となると、ほぼほぼ・・現代と同じような、暮らしだったのかもしれません。

が‥、問題は上記の年収から生活費をを引いた、残りの金額です。
これはいつの時代だって同じかと思います。

・・・・・・・・・・
江戸時代と幕末や歴史記事をまとめてみました。
庶民の暮らしは当時はどうだったんでしょうか?

江戸時代の文化と生活や服装は?庶民と武士の年収や幕末まとめ!

貨幣価値は、今とは違ってもでも基準はいつの世も同じような気がします。

・・・

「文政年間漫録」を基にした、「江戸物価事典」からの引用ですが、もともと「文政年間漫録」は、江渡時代の生活を書いたもの。

現代でいえば、総務省と厚労省の統計機関の、数字のようなものだと、私は解釈します。

問題は残った金額!

やはり商人は、と言ってもここでは、一心太助のような行商人ですが、意外と儲かっていたんですね~~

スーパーはなかったのかな・・たぶん。

農家はやはり、苦悩のようです。
見かけは大きな収入でも、年貢が政府と地主に対する、二重苦なわけですから。

昭和30年代の、社会党政権数か月の成果は

「農地改革法」

これにつきますね。
ここまで地主は、成立していたわけです。

大工さんも、生活して残るのが、たったの1両ちょっと。
これでは、貯金ができないね。

総じて、楽なようではなかったような気がします。

*なお、一両は10万円~15万円とか、諸説あるようです。
しかし、幕末ではもう価値が5万円とか・・そういうレベルの話もあります。

いくらであっても、問題は収支だと思うので、上記のような記述にしました。
物価はいつの時代も、上がっても下がらないと思います。

貨幣価値が下がれば、ますます生活はどん底!

あの「壬生義士伝」の内容と、かぶってくるんだな~~

中井貴一が演じた腕の立つ武士は、生活のために新選組に入ったんだな。
あの映画を見て、私はそう感じました。

皆さんは、江戸時代の年収・・・どう感じましたか~~~~??

・・・・・・・・・・

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いろんな形があって、これは芸術品ですね!!

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でも、活躍を思えば、時代の変遷というか流れというのを感じますね~~~

注:一部独断と偏見で書いた部分もありますが、容赦ください。
何せ江戸時代のことですから!!

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