戦国時代最強の武将を補佐する軍師は誰だ?ランキングをつけてみた!
戦国武将で最強の武将には、やはり最強の天才軍師が、武将の右腕として、軍略上重要な役目を果たす存在だったようです。
武将が絶対裏切らないという、最高の信頼関係にあることが、まずは条件ですが、そういう軍師の中で、最強軍師ランキングを考えてみました。
三大軍師といえば・・私なら・・
黒田官兵衛、竹中半兵衛ほか・・山本勘助?
かな・・他にも、有名どころがずら~~り~~と。
他には、僧侶の軍師というか、武将の精神的なよりどころが、あったような気がします。
戦国時代の日本は、ある意味歴史的に後世からみれば、一番輝いていた時代のような気もします。
稀代の英雄が生まれた時代でもあったから!
よく言う飼い犬に手をかまれた!
戦国の時代は、下克上の時代でもあります。
その中で信義に厚く、義を重んじる最強の軍師・・・・あなたの贔屓はありますか?
Contents
戦国時代の最強軍師ランキングは?
では、歴史好きな私が、勝手につけたランキングです。
いろんなサイトのランキングがありますが、それを加味して、私の私見を交えてランキングにしてみました。
ご意見はいろいろあろうかと思いますが、それなりに!
1位:黒田官兵衛(黒田孝高)
晩年では「黒田如水」と名乗っていました。
行雲流水という言葉がありますが、まさに水の如く!・・ですね。
人生を生きる、生き方の達人でもあったように思います。
ある意味、中国の春秋時代、越王勾践に仕えた軍師
「范蠡」
を思わせるような気がします。
范蠡は、人生の達人ともいわれます。
逆らわない生き方を、豊臣秀吉天下統一の後は、したように思います。
黒田官兵衛は、今更説明の必要はないかと。
最高の軍師の功績は私はどうしても
- 1:備中高松城の水攻め
2:中国大返し
3:山崎合戦の各武将への蝶略
でしょう。
が・・あの関ヶ原の時の、九州平定間近での決着は、本人にとっては、全くの予想外だったでしょうね~
いずれ、最強かと・・
2:竹中半兵衛
ある意味、黒田官兵衛と竹中半兵衛は、豊臣秀吉の軍師で両輪かと。
よくあり事な、ライバル意識ってあった?
いえいえ・・私が思うには、感じないですね~~
それほど、この二人は意思疎通と、目的は一つでつながっていたんだと思います。
荒木村重謀反で、黒田官兵衛が幽閉されて、その子黒田長政の首を出せ!
そういう窮地に、別人を信長に差し出して、ピンチを救った、黒田長間にとっては、まさに命の恩人!
もちろん、36歳で病死した、竹中半兵衛の子供の再興も、しました。
織田信長も認めた、軍師中の軍師ですね~~
3位:片倉小十郎
伊達政宗公の家臣です。
最強のゆえんは?
私は宮城県で地元なのですが、白石城が片倉小十郎の居城です。
伊達政宗と、芦名氏(福島会津)の戦いのときに、「人取り橋」の戦いがあったのですが・・
敵は3万で、味方は7千。
やる前から、決していたような戦いですが、やはりこれはいくら何でも、無謀かと。
案の定の負け戦・・が‥伊達政宗公はどういったか知りませんが
「まだまだ・俺に皆の者ついてこい!」
「殿、早・勝敗は明らか、これ以上の戦は無意味でござる」
「なにお~おれはいくぞ!」
「殿、大将が死んでは、すべてが終わります・・いったん引きましょう‥」
「うるせ~~~」
と言いながら(?)、片倉小十郎が伊達政宗公を羽交い絞めにして、撤退!!
これNHKの大河のシーンです。(独眼竜正宗)
- この時の役者は
片倉小十郎:西郷輝彦
伊達政宗:渡辺謙
よ~~く覚えています。
何処が名軍師??
大将が死んではみんな終わる!
これです。
中国の劉邦は、項羽に100回戦って、一回勝っただけともいわれます。
これは例えの話ですが、生きていればそのあとの再起は、可能なんだな!
徳川家康公も、三方ヶ原で単騎で戦場離脱で、浜松城に帰ったわけです。
生きていればこそ!
これ立派です!
4位:本田正信
本田正信は、一度徳川家を出奔しています。
しかし、家康公の許しを受けて、また仕えることに。
しかし、戦国はすでに終盤。
時はすでに決していたという時期です。
が・・・頭角を現すのは太閤殿下の世の以降かと。
戦国がほぼ終了すると、闘将よりは知将が重要。
その代名詞的な方かと思います。
神君家康公の懐刀!
これも名場面・場面は家康公の寝所
- 「だれだ・・」
「正信めにございます」
「夜はまだ明けぬぞ・・なにごとだ!」
「関白殿下がお亡くなりになった由にござります…」
「まことか・・」
「大阪城に送った内偵により確かかと」
「あいわかった・・」
なんていう、掛け合いだったような・・言葉の一言一句は全く当たってないので、悪しからず・・意味だけで。
この時のNHK大河の役者は
本田正信:三国連太郎
徳川家康:津川雅彦
なんて・・大河ドラマの受け売りです。
5位:真田昌幸
知らない方はいないですね。
ついこの間のNHK大河で、真田幸村で父親ですから、草刈正雄さん演じて、かなり有名になりました。
父親の真田幸隆も名武将といわれます。
武田信玄公と、この真田幸隆が真田の所(所領)をかけて、うった囲碁。
勝ったのは真田幸隆。
がしかし、武田信玄の家臣になるんだな。
その昌幸は武田信玄の、懐刀。
三方ヶ原の陣は「魚鱗の陣」
次々と新手を繰り出す、武田騎馬軍団の、真骨頂かと。
崩れた徳川軍を追って壊滅すべし!
主戦論を封じたのは、真田昌幸といわれています。
なんで?
やはり、目的は何だ?
これです。
武田信玄は、上洛を目的にしていたわけです。
主戦ならば、浜松城を包囲して壊滅まで数か月は必須!
そのうち、冬になります。
この目的は何だ??
これ一つの例ですが、私たちの人生にも言えませんか?
6位:直江兼続
こちらもNHK大河でやりましたね~~
とても面白かったです。
太閤殿下がなくなって、各大名に恭順を誓わせるべく、大阪に上洛を促した文書に対する返状!
いわゆる
「直江書状」
です。
これは事実上の宣戦布告!
内容は?
「上方武士は茶屋能に興じるが本分なれど、田舎武士は槍を研ぎ鉄砲を鍛錬し、陣を構え・・」
なんか、こういう内容だったような気がするのですが、正確な文章は昔の文書のため、わからず・・
もちろん調べれば、即わかりますが、あえてこのままにしておきます。
これは痛快でしたね!
読んだ家康公は、紙を踏みつけて激怒・・
が、一人だけほくそ笑んだ方が‥本田正信だな・・多分!
「大義名分が立った!」
かもしれません。
関が原開戦前の、直江兼続の所領は確か米沢30万石。
これはもう大名よりも多いですね。
すでに、上杉景勝との盟友のような、そんな関係で信頼感は抜群!
部下に対して、そのように評価していたわけです。
これいかがですか?
関が原敗退後は、上杉氏はここ米沢に入封されて、そのまんま直江氏の所領を継いだわけですね~~
7位:小早川隆景
毛利元就の3人兄弟の一人で、最も勇猛で知に長けていた・・そういう評価の方です。
三兄弟の「三本の矢」の話は有名です。
この小早川隆景は、その三人兄弟の末っ子です。
この小早川隆景と、吉川元春さんは、本家の毛利家を支えることに、全身全霊を尽くした、まさに武将の誉れですね。
誰の軍師だったか?
それは本家ですね。
本家・・それは毛利元就、その子毛利隆元、その子毛利輝元です。
特に毛利輝元は、西軍総大将・関ヶ原に参陣したのは嫡男秀元で、幼少の子供。
その時の補佐は、吉川広家です。
細かく書くと尽きませんが、ゲームの世界でも勇将で、智略家!
稀代の名将でしょう!
・・・・・・・・・
軍師の戦略とは?
現代に通じるものがあります!
戦国時代の軍師に関する書籍です。
・・・・・・・・・
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座右の銘はこの戦国の武将の間でもあったようです。
徳川家康公の例や、他も書いてみました。
詳しくはこちらです。
座右の銘の偉人や有名人の例から見る人生!お勧めの言葉を考える!
苦労は買ってでもしろ・・という格言があります。
特に若い時の・・
なんで?
苦労は買ってでもしろの意味と語源や由来を考える!若い時の例は?
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8位:山本勘助
武田信玄の、軍師だった方で川中島の決戦で、残念ながら討ち死にしました。
これもNHKの大河でやりましたね~~
この日の合戦の、布陣というか作戦を武田信玄に進言。
部隊を二手に分けて、妻女山に陣取った、上杉謙信を背後から急襲する舞台と、追われた上杉謙信の軍を、八幡原で待ち伏せるという、そんなシナリオだったような!
ところが、砦から煙を見た上杉謙信はなんて言った?
- 「直江・・あれを何とみる?」(上杉家家老)
「は・飯を炊いてるのでは?」
「アホカお前は・・・いえいえ・そうは言いません戦国ですから・・明日信玄は動く!」
「なるほど・・ではいかがいたしますか?」
「旗差しをおいて、陣をまとめて八幡原に移動する。夜半に出立する故今のうちに兵を休ませろ!」
なるほど~~上杉謙信は、見抜いていたんです・・や、山本勘助の作戦を。
見抜変えるような作戦だったんだな・・これは。
武田信繁曰(番組内で‥)
「勘助・策に溺れたな!!」
確かに。結果は、多くの中堅の家臣を失って、戦には最終的には勝っても、実質的には負けという、武田信玄の認識だったと思います。
両軍に多くの被害が出て、痛み分けかな・・・多分!
山本勘助は、ここで討ち死にでした~~~
9位:島左近
「三成に過ぎたるもの有之。家老の島左近と城の佐和山。」
という、ことが言われます。
島左近は筒井順慶の家臣だったのですが、代が変わって出奔。
浪人暮らしを、石田三成が家禄を半分やって、召し抱え。
しかし頭の固い、石田三成の下では、なかなか能力を発揮できなかったようです。
関ケ原の合戦で、黒田長政隊の鉄砲にて、討ち死に・・とあります。
司馬遼太郎の「関が原」でも、その合戦シーンには、何度も出てきます。
戦上手で知られるのですが、それを使いこなせなかった、上司の能力が問われそうです。
現代でもありそうですね。
10位:大原雪斎
今川義元を補佐して、駿河の国を一大帝国にして、甲斐武田氏と北条氏との三国同盟を築いた、外交的な知略かとして知られます。
NHK大河ドラマでの、武田信玄での一コマに、三人での会談がセットされた・・これはのちに、作ったものかも・・ということのようですが。
いずれ、この3国同盟は強固だったですね~~
なので、今川義元は安心して、上洛を目指したわけです。
が・・
あの桶狭間の件は、雪斎が生きていればあれはなかったかもしれないと、言われています。
確かに!!
信頼すべき部下が、いなくなればみんなイエスマンになって、裸の王様になってしまうのかな?
・・・・・・・・・
江戸時代と幕末や歴史記事をまとめてみました。
庶民の暮らしは当時はどうだったんでしょうか?
江戸時代の文化と生活や服装は?庶民と武士の年収や幕末まとめ!
貨幣価値は、今とは違ってもでも基準はいつのy9尾も同じような気がします。
・・・
と・・いろいろ10人の軍師の方を書いてきました。
最強は誰だ?
やはり黒田官兵衛でしょう!
私の中ではそうです。
戦国時代最強の軍師ランキングのまとめ
私の中での、最強の軍師は、どうしたって
「黒田官兵衛」
です。
黒田官兵衛のすごいところは、常に退路を考えていたように思います。
そう考えるのは、私だけかもしれませんが、もし失敗した場合の、リスクまでマネージメントしていたように思うわけです。
関ケ原の事例が、いいところだと思います。
現場には息子の黒田長政が‥
しかし、その傍流では本分の黒田官兵衛が、九州で暗躍するわけです。
これは、実に面白い行動に思いました。
この行動の裏にある、精神状態を推測することは、すごく面白いです。
皆さんはどう思いますか?
人の行く道の裏に本筋がある??
なんてことを感じます。
片倉小十郎も、大好きな武将で軍師です。
真田幸村の子孫も片倉家で、引き受けたようですね。
これは、司馬遼太郎の「関が原」に詳しく書かれています。
戦国時代は乱世です。
そういう時代に命を懸けて、生き延びた方対のおかげで、今の日本の世があるんだな。
そして、英雄がたくさん生まれた時代です。
今の企業も乱世の時代かな・・・多分!!
とても参考になります!!
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っていつも思います。
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