背水の陣の意味と由来は負ければ後がない、瀬戸際に追い込む!

背水の陣の意味は負ければ後がない、命がけの状態に追い込んで自分自身を瀬戸際に追い込む!

また背水の陣の意味の由来は楚漢戦争の

「井陘の戦い(せいけいのたたかい)」

の時の韓信がとった戦法から由来しています。

意味は、まさに命がけで後戻りはできない状態のことで、わざと背水の陣を引くという場合は、自分自身を追い込んでいって、必勝を祈願すること!

この時の漢の総大将将軍「韓信」の軍は、劣勢を挽回するべく、川を背に布陣。

誰もが、不利な布陣と思ったのですが、布陣した自軍の軍はもう負けると、大きな川が後ろですから普通の数倍の根性が出て、圧倒的に多い敵軍を撃破!

尤も、敵軍はその布陣を見て侮って油断もあったようですが・・

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背水の陣という言葉の由来はどこから来たのでしょうか?
その語源に迫ってみようと思います。

背水の陣の由来や語源はどこから?

背水の陣とはもともとは楚漢戦争の時に、漢の劉邦は部下の大将軍の

「韓信」

に趙を攻めることを命じたのでしたね。
ここで趙を平定すれば漢は巨大な勢力になるのですが、しかし強敵!

韓信の相手趙は宰相の成安君陳余が相手!

この陳余は項羽ににも仕えてたのですが、ついたり離れたりで何ともつかみどころのない御仁。

然し韓信の軍はわずかに3万

対して趙の陳余の軍は20万で比較にならず!

そこで韓信がとった戦略が川を背に布陣すること。
こうすることによって兵は後ろは川であって、逃げれば即川でおぼれるからそれは、

「死を意味する」

のです。
すると兵はどうするか、もう最初から死にたくないから、死に物狂いで戦うんです。
まさに狂ったように戦いますから一人10人力も発揮するんでしょうねえ・

もしかしたらそれ以上かも。

しかし陳余は、川を背にして布陣した韓信に対して兵法を知らない小心者とあざけるのでしたが、これは韓信の所謂

「背水の陣」

であったわけです。

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しかも陳余は全軍で攻めてくることを読んでいた韓信は、2000の別動隊に漢の旗を持たせて、陳余が出陣した後の砦を占拠して漢の旗を立てるように指示!

案の定全軍が出払って護衛の兵しかいなかった砦はもぬけの殻!

そこで漢の旗を大々的に立てたわけです。

背水の陣の韓信は陳余の猛攻を死守!

攻めても崩れない韓信軍を見てここはいったん引くということで砦に帰ったらなんと漢の旗が・・・

ここで帰るところを失った趙の軍は総崩れになって、韓信の大勝利になったわけです。

その時の韓信曰く

「私は兵法書に書いてある通りにしただけだ。即ち『兵は死地において初めて生きる(「之れを往く所無きに投ずれば、諸・歳の勇なり〔兵士たちをどこにも行き場のない窮地に置けば、おのずと専諸や曹劌のように勇戦力闘する〕」『孫子』九地篇)』」
(ウィキペディアより引用)

これは先々週までGYAOで無料放送をやっていましたよ~~

「項羽と劉邦~楚漢戦争」

です。
無料で一週間で4話更新でしたが、面白かったですねえ。

ということで知っていたのでしたね。

背水の陣で事に臨むのは、覚悟が求められます。
戻るとk露尾がある方は、遠慮してほしいですね‥この言葉を使うのは。

・・・
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