日本刀最強の刀の天下五剣!世界最強の剣の歴史と所蔵先を調べた?
世界最強の武器は日本刀だ!
日本一美しい刀で、日本刀最強の刀と言えば「天下五剣」です。
この美しさは、まさに日本刀ならでは。
ではその天下五剣はどこに展示して、どこに所蔵保管している?
作者は誰で、誰の手を経て、どんないわれや歴史をたどって、今に至ったか?
歴史は、平安時代の中期から、室町時代にさかのぼり、そこから始まる歴史的な名刀中の名刀です。
日本の歴史に残る、日本刀の中での5本の指に入る、いわゆる
「ベスト5」
です。
- 1:三日月宗近
2:数珠丸恒次
3:大典太光世
4:鬼丸国綱
5:童子切安綱
のこの5つの名刀!(天下五剣)(順不同です)
写真で見ると、素晴らしい名刀です・・って見たことはないです!
最近では、この日本刀の技術を生かしたはさみなどや、一般の商品にもその技術はいかされてます。
ある意味、日本という国は技術は伝承して、生かしている分野って、結構多いですね。
茶道もそうだと思います。
Contents
世界最強の名剣天下五剣はどんな名刀だ?
こんな名刀です。
本当に奇麗で、妖艶です。
よく残っていたと思います。
三日月宗近(みかづきむねちか)の作者と持ち主変遷は?
- ・国宝に指定されています。
・所蔵東京国立博物館
・流派:三条
・作者:三日月宗近
作った方は
「三条宗近」
さんという方で、平安末期の3名工の一人と言われます。
この方の刀は、現存するのは少なく希少なんだそうな。
平安末期とは・・いつだ???
平安時代というのは794年~1185年あたりの事を言うようです。
末期ですから大体ですが1150年以降あたりかと。
確実な話では、豊臣秀吉の正室の高台院から、徳川秀忠に送られて、将軍家が所蔵。
sのご一般の収集家を経て、国立博物館に寄贈とあります。
数珠丸恒次(じゅずまるつねつぐ)の作者と持ち主変遷は?
- ・重要文化財
・所蔵:本興寺
・流派:備中青江派
・作者:古青江恒次
天下五剣の中では、唯一の重要文化財の指定品です。
てことは、他はすべて国宝なんですね。
この名刀は、日蓮上人が身延山を開山した際に、信徒である波木井三郎実長から護身用にと献上された名刀。
日蓮上人らしく、鞘に数珠を巻いていたことから「数珠丸」の呼び名が付いたと言ういわれです。
一時期行方不明だったが、大正2年に競売品になっているのを杉原祥造氏が発見も、紆余曲折を経て現在は
「本興寺」
の所蔵です。
作者の「古青江恒次」氏は、青江派を代表する鍛冶の名跡の一人で、鎌倉期から南北朝期にかけて、存在した名工のようです。
大典太光世(おおてんたみつよ)の作者と持ち主変遷は?
- ・国宝
・所蔵:前田育徳会
・流派:筑後三池派
・作者:三池典太光世
平安末期の刀匠です。
九州を代表する、名工で築後の国三池で、工房があったようです。
この名刀は、足利将軍家の重宝でしたが、豊臣秀吉が譲り受けた由。
その後、前田利家の娘の豪姫病の折に、太閤殿下から借りて受けたら治ったのですが、返すとまた病気を繰り返すために、秀吉公が
「貴公にやる・もう持っとれ!」
そう言ったかどうかはわかりませんが、その後、前田家の所有で現在も、前田記念館(育徳会)の所蔵のようです。
鬼丸国綱(おにまるくにつな)の作者と持ち主変遷は?
- ・国宝
・所蔵:宮内庁保管
・作者:粟田口国綱
この名刀は鎌倉時代の刀匠「粟田口国綱」の作に依ります。
北条時頼の名で打ったのですが、これがなかなかのエピソードで、ここに書くのもちょっと・・の内容です。
なぜか、持った所有の方は短命でした。
- 北条時頼:37歳
北条高時:31歳
新田義貞:手にして5年後
そののち、足利将軍家にわたります。
その後豊臣秀吉の手に渡ります。
なんと豊臣秀吉は、この時点で天下五剣のうち、数珠丸以外の四剣を持っていたことになります。
しかし、やはり天下人。
何かを感じることがあったのかもしれません。
- 三日月宗近:高台院→徳川秀忠→徳川家
大典太光世:前田利家→前田家所蔵
鬼丸国綱:本阿弥家に預ける
童子切安綱:本阿弥家に預ける
とこんな感じで、2刀は手元には起きたがらなかったようです。
その後、徳川家の管理下になったようですが、保管はそのまま本阿弥家。
その後も不吉な現象があって、だれも持ちたがらなかったようです。
現在は宮内庁です。
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童子切安綱(どうじぎりやすつな)の作者と持ち主変遷は?
- ・国宝第一号(昭和8年)
・所蔵:東京国立博物館
・作者:大原安綱
童子切安綱は作られたのは、平安時代中期。
作者は大原安綱さんという刀匠です。
際その所有者はなんと~~~清和源氏の嫡流
「源頼光」
の所有だったといわれます。
丹波の国に住む悪い鬼の「酒天童子」の首をはねたという言い伝えから、「童子切」という名がついたそうです。
その後、やはり足利将軍家にわたり、そのごほかの名刀同様に豊臣秀吉の手元に・・
と思ったのですが、やはりそういう言われ者には、手を出さなかったようで、本阿弥家に預けた。
ということのようです。
その後この名刀は、徳川家に。
その後どうなったか?
二代将軍秀忠の娘の勝姫が、1611年越前北ノ庄藩に輿入れした時に、持参。
まあ~~手土産替わりかと。
ところがそこでは、悲劇が悲劇を呼んで・・・
とても書けません‥
その後、嫁ぎ先の松平家は津山藩主に・・そこで保存されて、昭和8年の国宝指定。
その後戦後、松平家から売りに出された、数名が所有も文化庁が昭和38年に買い取り、現在に至ります。
尚、買取金額は:2630万円
今ならいくらなんでしょ??
とま~~曰くや、いわれ付きの名刀のお話でした。
日本刀最強の刀の天下五剣の保存場所と歴史のまとめ
日本の名刀って、すごいんですね。
驚きました。
しかし、豊臣秀吉は日蓮が所有の「数珠丸恒次」以外は、すべて手に入れていたんですね。
驚きました。
いろんな歴史があって、今の場所に保管されているんだと思います。
ところで、宮内庁は例外で、見ることはできないかもしれませんが、東京国立博物館なら見れるのかな?
展示してあるのか、後で調べてみます。
あとは前田家の「育徳会」ですね。
でも‥無理でしょうね。
名剣で思い出したのですが、中国のドラマでギャオで無料配信していた
「三国志」
の中で、曹操が呂布の妻の貂蝉が持っていた
「七星剣(七星刀)」
で自害するんですが、印象的でした。(ドラマの中でのお話です)
王允 → 曹操 → 董卓 → 貂蝉
という図式に思いましたが、その後この件はどうなったのかな?
まあ~~ドラマなので、それなりに。
スカスだ・・・
徳川家も豊臣家のそばに起きたがらなかった、名剣二本。
う~~~ん
奥が深いです‥
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