朝鮮通信使とは ユネスコの記憶遺産登録で400年の真実が明らかに!
朝鮮通信使という、聞きなれないものが、ユネスコの記憶遺産に、申請されてるるんだそうな。
朝鮮通信使とは?
その目的や、日本でのルートや行列など、真実はどうだったのか、ちょっと調べてみました。
その前に、これって記憶遺産にする価値があるのかな~~
って思った次第です。
せっかく盛り上がってる、ユネスコの記憶遺産ですが、ちょっとこの真実を調べてみて、ちょっとな~~
って、思ったのは事実です。
でも歴史ですからね。
真実はどうであろうと、朝鮮通信使は存在して、当時の日本の江戸幕府と交流していたのですから、それはそれでよろしいかと・・
Contents
朝鮮通信使とは?その目的と頻度は?
時は江戸幕府の時代。
朝鮮通信使が日本に来たのは1607年~1811年だそうです。
都合その間に、日本に
「12回」
きているそうです。
朝鮮通信使とは?その目的は?
この使節「朝鮮通信使」は、朝鮮王朝時代に、日本に派遣された「外交使節団」といううことのようです。
当時の日本は、豊臣秀吉との「壬辰倭乱(文禄・慶長の役)」で、挑戦とは断絶状態。
これを打破するために、国交を回復するために、時の江戸幕府が派遣を要請。
それで、この外交使節団の訪問が、始まったということのようです。
派遣回数は、上記に書いたように
「1607年~1811年」
で
「12回」
とあります。
なんで12回なの?
それは、徳川将軍の代替わりの時に、来たからなんだそうですよ~~
なるほど鳥ですね。
最近では、この行列を再現した、イベントも行われてるようです。
さて実際には、どんな内容だったのでしょうか?
朝鮮通信使の日本でのルートや要した日程は?
さて、どんなルートで日本に来たんでしょうか?
一つの、今回の申請資料の中で、福岡藩の資料があります。
相島(あいのしま)=福岡県新宮町=で朝鮮通信使を接待した記録があると、言うことで、その資料も申請しているようです。
なので、ここを経由したことは間違いがないかと。
ルートは、長崎・対馬、壱岐の後この玄界灘の島相島(あいのしま)に立ち寄って、宿営したそうです。
そののちのルートは?
釜山から、対馬を経て、馬関を経て瀬戸内海を航行し、大坂に入り宿営。
大阪からは、御座船で淀川を上昇して・・輿、馬、陸路を徒歩で京都をへて、江戸に向かうルート。
大体の工程は
- 1:対馬から大阪の海路:45日間
2:大阪の滞在に6日
3:大阪~江戸陸路:18日間
江戸のついてからの滞在や行事も含めて、一回の朝鮮通信使の全工程では何と~~
「8ヶ月~10か月」
を要していたといいますから、時代ですね~~
今やトランプ大統領は2泊三日です。
朝鮮通信使の規模と要した費用はいかほど?
一度の通信使の派遣はなんと
「450人前後」
の規模だったようです。
そのうちに100人は、大阪で待機だったと。
その他に対馬藩が窓口なので、、対馬藩からの護衛がなんとこれも
「800人」
だったといいますから、とんでもない金額がかかったわけです。
一度の、朝鮮通信使の日本側の費用はなんと~~
「100万両」
って言われてもピンとこないね~~
1両=5万円
と言ったら、どうでしょうか?
江戸時代の1両という金額は、現代に直せばこんくらいかと。
当時は1両=1石(コメ2.5表)(60キロ換算で)
もちろん貨幣価値や、モノの値段の差異は、つきもので一概にそういう単純ではないかもしれません。
しかし、いずれにしてもすごい金額が、がかかったんですな~~
もしかしてその金額すべて、日本持ち?
12回の来日のうちでも、節約で60万両まで圧縮したり、江戸ではなく大阪であったりと・・
可なりの、紆余曲折もあったようです。
朝鮮通信使のまとめ
本日10月30日のニュースで
「朝鮮通信使」
に関する資料が、ユネスコの世界記憶遺産に、登録するよう勧告されたようです。
勧告したのは
「ユネスコ国際諮問委員会(IAC)」
これで勧告されると、ほぼ登録は確定かと。
歴史というのは、日本であれ、世界の中の国々であれ、尊重するべきことことかと思います。
実際の真実は、他にもあるようですが、ここはまず記憶遺産登録を、喜びましょう。
今回の記憶遺産の登録に当たって、提出した資料は・・
文化記録など111件333点(韓国側63件124点、日本側48件209点)
ということです。
すごい数の資料ですね・
ただ、一方でその朝鮮通信使のかたの、日本で振る舞いを記した、文献もあるようです。
さてそういう資料も登録なるのかな?
個人的な見解ですが、そう思います。
しかし、歴史!
されど歴史!
400年前のことが、注目されるような歴史が、ある・・
それは一種・・どう考えても名誉なことだと思います。
正式登録・・・なるといいですね。
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