脳梗塞でうつになった妻に家族の接し方は?効果のあった実例を紹介!
私の妻は43歳(多分・・)の時に、脳こうそくで倒れました。
その後、一か月ほどの入院で、奇跡的にほぼ回復。
が・・しかし回復しなかった部分が、あったんです。
「心」
です。
脳梗塞の後遺症、なんだと思います。
病気で、もしかしたらこれで人生終わるかもしれないという、恐怖が心に住みたいてしまった?
当時、私はそう思いましたね。
若かったですよね~
そんな年齢で、まさか脳梗塞という病気になるとは、思ってもいませんでした。
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妻が脳梗塞でうつになった家族の接し方は?
その時私は、以前の会社でそれなりの地位でした。
川崎の取引先で、社長と部長と私で、顧客にパソコンもちこんで、キャド図面を提示してプレゼン中でした。
この仕事が成立すれば年間6億オーバーという、製造業の売り上げが期待できたもんですから、わが社の3人(俺含めて)は必至!
この後新宿行くか?
なんて接待まで考えていたんですな~~(笑
ところが、この一報ですよ。
社長は即帰れ!
っていうのですが、接待はいざ知らず、プレゼンはあと30分少々でおわるから、終わったら休憩にして、そこまでやらせろ!
と言って仕事は終わらせて、東京駅行って新幹線乗って・・
病院に着いたのが、夜8時ころでしたね。
医師の説明を受けたのですが・・詳しいことは省略しますが・・
治る・・という確信でした。
実際次の日には、元気で障害は感じられませんでした。
一日だけ休んで、妻の介護をしましたよ。(下の世話まで・・)
あとはいらないから帰れ・・って病院に言われて帰りましたが。
すごい回復で、一週間後くらいには、普通に歩いていました。
医師にも奇跡的だ・・と言われました。
ただどうしても、左の脚と腕に力が右ほど力が入らず、ちょっとびっこをひくのと、左手に力が入らないようです。
これは今でもそうですね。
でも日常は何の支障もないです。
ただ車は危ないので退院後、マニュアルから、オートマに即変えました。
一か月ほどで退院して、何事もなかったような日常・・だと思っていたのですね~~我が家の家族全員が。
妻の心の病はじわじわときてどうしたか?
退院してからは、仕事人間だったので、休みのゴルフはなるべく回避したり、なるべく家に早く帰るように心がけたり、一緒に犬を連れて散歩したり・・
私もその時ほど、いい亭主だったときは無かったですね~~
なんか変だな??
そう思ったのは、多分一~二週間ほどしてからだと思うんだな。
朝起きなくなったんです。
会社に行く時間になっても、朝ご飯造らずに起きない。
弁当もなし。
洗濯もしない。
子供たちの弁当は、子供たちが自分で詰めていますから、問題ないとしても全員が出かけるまで寝てる。
おふくろに
「今日はいつ起きた?」
「昼まで寝てた・・起きてオレと一緒に昼くった・・パジャマ姿で・・おっとうなんかおがすぐねが?」(ずうずうべん)
どう考えてもおかしいんだな~
そこで話をした。
そしたら本人曰く
「なんかここがおかしい!」
と言って心・・むねを指すんですよ。
「ここがドキドキする!」
最初なんのこっちゃかさっぱり。
「なんでそんなにやる気が出ないの?病気に負けてどうすんだ!」
みたいなことを言ったんだな~
これはまったく逆効果でしたね。
まあ・・伊予曲折があって・・
妻を除く全員で話し合いをして、得た結論。
- 「頑張れは言わない(禁句)」
「おこらない」
「それやってはいけないはいわない」
「間違ってもおこらない」
「できるだけ皆で出かける」
ここまでは優しい面
ここからは厳しい面
- 「あさは6時半に起こす」(起きてもらう)
「洗濯は手伝う」(娘たち)
「お弁当は自分で詰める」(娘たちの分)
「お金を任せる」(従来通り)
こんなことを決めたような気がします。
とにかく本人の気持ちとして、どうしてやる気が出ないか・・どうして朝起きれないのか?
その理由がわからない訳ですから、頑張れは酷!
間違って、または忘れたりしたことを、怒ってみてもしょうがないですよね。
これは仕方がないことと思う。
半面、お母さんの分まで子供たちも頑張ってる・・そういう意味でやって見せることに。
これは私が、お前ら自分のことは自分でやれ!!
っていい機会でした。
本来は妻が、母親がやってたことを、子供たちがやるのですから、これは少しはためになったようです。
但し逆効果になったら、また別な手を考えていましたが。
一応これはやる気が出たようです。
それからお金。
私は31歳の時に転職して、その機会にすべて渡して、私は小遣い人生です。
今でもそうです。
給料から税金の支払いや、家のローンや何やらかにやら、飯のおかずまですべて任せてましたが、買い物はいざ知らずこの財布の管理は、そのまんま継続しました。
そしてできるだけ、お金はいっぱい残るように。(これは我が母に協力してもらった)
このお金!
これね~~
人間お金の要らない方っていませんよね!
え??大富豪はいらない??
いえいえ大富豪はいらないかもしれませんが、その方だって最初から大富豪ではないわけですから。
相続した方だって、無くなる怖さを今度は、感じてるかもしれませんよ!
すべてを任せるって、信頼の証なんだと思います。
たまに督促が来ましたが、放っておきました。(もちろん処置はしましたが)
少し怒った方でも、何かプレゼントをもらうと、途端に機嫌が直る・・そう思いませんか?
その処置でどうなった?
心がけたのは、普通の日常!
頑張らない普通の日常で、みんなで普通に過ごす。
以前と何も変わらない生活。
変わったのは妻だけですが、それでもみんなでできない分を、補っていきましたね~
会社には診断書を出して休んでいたのですが、ある日
「そろそろ会社に行ってみる」
そういったのは驚きましたね~
そこでそこの工場長と、面識があったので、挨拶に行きましたよ。
「工場長申し訳ないが、もう正社員でなくともいいから、パートで使ってやってくれないかな?とても以前のような仕事はできないと思うから。」
そういったらその工場長さすがだね~~
「Sさん申し訳ないが、それは俺が決めることだから。」
そういったっけ。
変わらず正社員で、雇用してもらいましたよ。
仕事はできたのかな~~
自分ではちゃんとやってる・・とはいうものの、その左手では製造業はな~~
と思っていましたね。
まあ・・会社がいいのならそれでいいのでしょう・・などとその時は思ってました。
妻のうつのまとめ
いまは?
普通です。
病気する前と、何にも変わりません。
ただ歩くときの左足がちょっとだけ、不自由です。
左手に力が入らないのは、そのまんまです。
でも日常生活は何にも支障がないですし、言わなければ見分けはつかないでしょう。
本人の意識も普通ですが、しかし変わったのは
「性格」
ですね~
ちょっと変わりました。
いい加減さが助長されたような気がします。
それは以前と比べてなので、日常的にはこんなものでしょう。
人間の気持ちって、心はコントロールできるものではないと、この時ばかりはよくよく感じました。
怒ったって、まったく逆効果でした。
私は家族に対して、手を挙げたことは一度もありません。
妻にもそんなことは、あり得ませんね。
しかし妻は
「お父さんの場合は言葉の暴力だ!」
そういわれる時がありますが、そういわれるなんとも・・・ですね~~
「本人のやる気を出させる方法・・」
気持ちを前向きにさせる方法は何か?
そういうことなんだろうと、理解しています。
書いたって、そんなことは上手く、書けるはずもないですし、ここに書いただけでは全くありません。
泣いて笑って・・そんな時期でしたね~~
娘3人ですが、上のお姉ちゃん二人は、この時の経験がよかったのか、看護師になりました。
3人目の末娘は今同居人です。
母と娘でいい勝負ですね。
ところでここからは私個人の余談です。
私がうつになったらどうなるか?
なれないですね。(もちろんなる時にはそんなことは関係ないでしょう!)
実際、私がうつになったら、多分この家は破産します。
今は婿殿と娘がいますから、ある程度は行けるでしょうが、農業はもう無理でしょう。
以前なら、働き手の私が、そうなったら収入の道が閉ざされますから、後は野となれ山となれ!
そんな状況かと。
それ考えたら、絶対にそんな病気にはなれないです。
気持ちの問題・・やはり心の問題ですよね。
うつを克服するのは、こんなところにもヒントが、あるやもしれません。
脳梗塞の前兆(初期症状)と症状は?原因と予防方法を調べてみた!
この話題、人生経験ですが、書こうかどうか迷ったのですが、結構この、「うつ」で悩んでる方って多いんですね。
少しは参考になれば・・ならないかな・・・
まあ・・こんな人もいるんだ・・それでもいいです。
人の心に決まった尺度はないと確信します。
それぞれに合った解決策があるんだろうとは思いますが、私の場合の経験でした。
何度も書きますが・・今は普通です!
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