植村直己マッキンリー最後の交信と言葉は?記念館の場所も調べた!

臥竜紅梅の梅

植村直己さんの記念館は、冒険館というようです。

植村直己さんの最後の、交信記録の内容(最後の言葉)と、遭難時の状況を記録から調べてみました。

救難捜索の時に、日記に書かれてる内容と普段の、名言録ともミスマッチともとれる、一つの行動のミスだったのかもしれません。

植村直己さんの功績をたたえて、冒険館(記念館)が建てられましたが、その場所や拝観料についても紹介します。

奥さんの公子さんとのなれそめや、子供さんはいらっしゃらないようですが、短い夫婦生活だったようですが、手記からくみ取れることを、自分なりに書いてみようかと。

私は、当時のことをよ~~くとまではいきませんが、覚えています。

当時の数々の冒険家としての記録を、塗り替えた植村直己さん、その功績は心にいつまでも残りますね。

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植村直己さんの、学歴や経歴や冒険家になったきっかけについて、本ブログ内の他記事で、紹介しました。

植村直己の大学の学歴や経歴は?冒険家になった理由を調べてみた!

当時の私は、上記記事に書いたようにバリバリのサラリーマン!

今は??

「定年間際のフラフラのサラリーマン!」

ですが、植村直己さんと聞くと、パッとすぐに記憶がわいてきます。

植村直己さんのマッキンリー最後の交信と言葉は?


(出典元:https://kajipon.sakura.ne.jp/より引用)

1984年2月12日の43歳のこの日に、マッキンリーの冬季の単独登頂に成功!

そして、登頂成功時によく見る、あの日の丸の旗を建てた。

ところが翌2月13日以降は、無線での交信が途絶えてしまうのです。

最後の交信は、2月13日の下記の内容です。

「私がいるのはサウスピークからずっとトラバースして…標高…えーあとは…20000フィート(約7千メートル)。えー、私もよくわかりませんが約20000…20000、20000フィートです、どうぞ。20000、20000、20000フィート」

これを最後に、交信は途絶えてしまいます。

そこで捜索隊が組織されて、救助に。

  • 2月20日:4200m地点の雪洞で日記発見
    2月25日:5200m地点35点の装備と食料が見つかる

その後、明大山岳部OBによる、第二次捜索隊が組織。
マッキンリー山頂で日の丸発見も、装束の手掛かりになるものは、何もなかった。

よって、最後に交信あってそれ以降途絶えた

「2月13日」

を命日として定めた。
とあります。

う~~~ん

謎ですね~~

植村直己冒険館の場所と入館料は?

植村直己さんの記念館は、冒険館というようです。
ちょっと間違いそうです。

二か所あるんですね。

植村直己冒険館兵庫県豊岡市の場所は?

国民栄誉賞を受賞した、郷土の誇りとなった植村直己さんの、栄誉をたたえた記念館です。

下記の内容です。

  • 記念館名称:植村直己冒険館
    運営:豊岡市
    場所:兵庫県豊岡市日高町の植村直己記念スポーツ公園内。
    住所:〒669-5363 兵庫県豊岡市日高町野829番地
    入館料:下記に紹介します。


(出典元:植村直己冒険館HPより引用)

それと、別に入館料の無料の割引制度があって、教育目的の場合は無料になる場合があるようです。

いろんな減免処置があるようです。

植村直己冒険館兵庫県豊岡市のアクセスは?

アクセスの紹介は下記です。

JR 山陰本線 江原駅(東口)より全但バス「稲葉」、「東河内」行きに乗り約10分、「冒険館前」下車 徒歩で3分。

(wikipediaより引用)

こういった内容です。

植村直己冒険館板橋区の場所は?

こちらの運営主体は

「公益財団法人植村記念財団」

が運営してるようです。

下記内容です。

  • 記念館名称:植村冒険館(うえむらぼうけんかん)
    住所:〒174-0046
    東京都板橋区蓮根2-21-5

アクセスは・・
都営地下鉄三田線蓮根駅 徒歩5分

の場所です。
なお、入館料は無料のようです。

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植村直己さんの名元禄と妻の公子さん!

植村直己さんと、妻の公子さんは1974年5月に結婚。
とんかつ屋さんで、植村さんが一目ぼれだったそうな。

当時の植村さんは「33歳」

子供さんがいなかったようです。
遭難でお亡くなりになったのが、1984年なので結婚生活は約

「10年」

だったようです。
とはいっても、冒険家ですから、家にいるのはその半分もなかったのでは??

そう思います。

「冒険で死んではいけない。生きて戻ってくるのが絶対、何よりの前提である」

こういう言葉を残していたのに、本当に残念ですね。

植村直己妻への手紙書籍はこちら

植村直己さんの残した名言録

とはいってもすべてをここで・・・はできないですから、私が来新田物を数点。

1:

「怖いがゆえ、死にたくないがゆえに、自分の技術以上のことをやらないよう、自分に言い聞かせている。」

2:

「みんな、それぞれが、何か新しいことをやる、それはすべて冒険だと、僕は思うんです。」

3:

「人間の社会の五里霧中をさまようより、この大自然のガスの中の方が、私にとってはずっと身に合っているのだ。いやいや、この濃厚なガスの中でなら、私にも生き延びる道はあるのだ。気が狂いそうな単調さに耐え抜き、弱音を吐きたがる自分に打ち勝つ以外にない。進むこと、ひたすら前へ進むこと。

名言録より引用

2番はどう思いますか?
すごく、的を言い当ててると思うんだなあ~~

何か新しいことは冒険!
その通りかと。

最後の名言は奥さんの公子さんの回顧録から!

「(夫は)好きなことを好きなだけやれて最高に幸せだったと思います」「『必ず生きて帰る事が本当の冒険だ』といつも偉そうに言ってたくせに…ちょっとだらしないんじゃないの?と言ってやりたい気持ちです」

これは名言かと・・・

・・
植村直己さんの学歴やプロフィールは別記事で紹介しました。

植村直己の大学の学歴や経歴は?冒険家になった理由を調べてみた!

冒険家を目指した、切っ掛けについても書いてみました。
・・・・

植村直己マッキンリー最後の交信などのまとめ

植村直己さんの、最後の交信記録は

「1984年2月13日」

です。
しかし謎が多い遭難だと思います。
どうしていなくなったんでしょうか?

上記で書いた、捜索時に見つかった日記に書かれてあった

「何が何でもマッキンレー、登るぞ」

ですが、上記で紹介した名言録の、信条とはちょっと違うような気がします。

何が何でも‥は、たぶんこの状況下では、絶対の感じてはならない気持ちの、心境なんだと思います。

そう思った時点で、危険度はマックスに達したんだと思います。

われわれの日常ではどうでしょうか?

仕事でもそうなのかもしれません。
何が何でも‥はいけないかも。

自分では、どうすることもできないことは、数多くありますから。

皆さんはいかが思いますか~~

植村直己妻への手紙書籍はこちら

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・・・・

 

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