ひな祭り(桃の節句)の由来と意味は?料理の縁起も調べてみた!

子供にも簡単にわかるように、調べたので紹介します。

桃の節句、ひな祭りがもうすぐやってきますが、この桃の節句がなんで、今のようなひな祭りになったのか、調べてみました。

そして、お雛様を飾る理由は?

桃の節句特有の、料理ってあるのかも、調べてみましたよ~~

皆さんのお宅では如何ですか?

我が家ではもう30年以上前から、写真のような7段飾りを飾ってます。

これまで一度も欠かしたことがないですが、数日飾っておしまいなので、もったいない気がしますね!

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桃の節句って3月3日ですよね。

まあこの時期になると、梅も開花しますから、そういう意味も込めて・・

なんては思ってますが、さて本当のところはどうなんでしょうか?

ひな祭り・・桃の節句の由来は?

由来は下記のようです。

簡単に箇条書きにしてみます。

1:1年に5つある節句の一つで三月三日は上巳(じょうし)と言われる。(中国から伝わる)
2:この奇数が重なる日に身を清める習慣があった
3:この時に紙人形で、身を清めて川に流す風習だった(流しびな)
4:貴族階級では紙の人形のままごとが流行っていた。この遊びを
「ひいな遊び」と称していた。
5:3と4が合体して流しびなの風習が広がった
6:江戸時代になると人形つくりの技術が向上して、家に飾るようになった。

ということのようですよ~~

年に5回あるうちの節句の2回目は

「端午の節句」

でこちらは男の子の祭りですよね!
いうまでもなくこいのぼりです。

桃の節句はいつから女の子の祭りになった?

上記の理由でひな祭りになったのですが、しかし当初は男女の区別のない、共通の行事だったといいます。

共通の邪気払い・・そういう感覚だったようです。

しかしここで天の声が・・

江戸幕府のお達しで、日付の上巳の節句を三月三日と定めたのです。

さらにひな人形を飾ることから、この日を

「女の子の日」

と定めたといいますから、此れもまた粋な計らいで、どの将軍様なんでしょうかね~~

この日からひな祭りは三月三日と定められて、女の子の祭りで、さらには

「女の子の健やかな成長や幸せを願う日」

と変化してきて、今に至る・・そういうことのようです。

簡単に言えば江戸時代に今のひな祭りのカタチが、確立した・・そういうことですね。

しかしなんですな~~

日本の文化というのは、一つ一つに明確な理屈があって、しかもそれが何百年も継承されてきている・・

すごいな~~

と思います。
このド田舎の山奥の僻地にも、昔ながらの風習って結構残ってますからね。

盆の送り火(送り盆)の手法、作法などもその一つですね。

いろんなことわざもあって、84歳のおふくろには、いつも感心させられます。

我が家のひな祭りと料理

最後に我が家のひな祭りの、写真と、タイトルに料理って入れましたが、我が家の料理を合わせて紹介します。

写真の通りのお雛様です。

7段飾りです。

この雛段は、長女が生まれたときに、妻の実家でお祝いに、買ってよこしたものです

結構大きいものですね。

この山ン中の僻地のド田舎の農家の家なので、置くところなんざいくらでもあるので、いいかと思うのですが、都市部では多分置くところはないですね。

私の娘のところでも、小さいお雛様です。

それで十分です。
要は気持ちですから。
私が孫娘が誕生した時に、買ってやりましたが。

ひな祭りの料理の定番は、我が家では

「ちらし寿司」

です。
これは毎年食べさせられますね。

ちょっと母と娘で工夫して、ひな祭り風になってて、

「お~~おまいらも少しは考えるんだな!」

っていったら

「文句あるんなら食うな!」

って言われますが・・・

そのほかにハマグリのお吸い物とか、(これは食ったことがあるような気がする…)

白酒とか・・雛あられ・・いろいろあるようですが、我が家ではたまに出るような気がします。

白酒というよりは、おふくろが甘酒を造ります。

普通に作って飲んでるようですが、(もちろん麹で)この日もあるような気がします。

まあ・・・みんな我が家は暇人ですから、そうなるのかな・・なんてね・

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桃の節句のまとめ

桃の節句・ひな祭りのいわれを調べたら、元は中国の言う5つある節句のうちの一つで

「3月3日の上巳(じょうし)」

を指していたということですね。
その日の邪気払いが、いろんな変遷を重ねて、今に至る!

そんな感じです。

印象ですが、江戸時代というのは、天下泰平の安定した時代でしたから、こういった行事の記念日の定めも、結構安易にできたという時代だったのかもしれないですね。

もしかしたら、江戸時代の代々の徳川家の将軍家も、庶民の関心を弾くことには、やぶさかではなかったのかもしれないです。

名将軍や名奉行が、数多く誕生した時代でもありますよね~~

「お~~この桜吹雪が目に入らねえか~~」

「江戸の悪党どもは、この火付け盗賊あらため方の長谷川平蔵が許しちゃあおかねええ~~」

ってちょっと古いですね・・

大岡様の名裁きもあって・・その一例

母親二人に子供が一人・・どっちも私の子だという!

大岡越前様は困ったがすぐさま・・

では子供を手を引いて、勝った方が母親である。
そういったのだが・・

両の手を二人の母親が引っ張ったが、当然子供は痛いと泣いた。

その時に片方の母親と名乗る女性が、手を放したんだな。

勝った方が私は本当の母親と、勝ち誇ったがあにはからんや・・

大岡裁きは手を放した方が真の母親である・・

このシーンは泣けたな~~

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