高野山なら奥の院と九度山観光!御朱印も真田丸で外せないアイテム!

高野山観光なら色んな名所ありますが、歴史上の大名の墓所になっている奥の院と、真田丸で関ケ原の合戦で敗れた西軍の将、真田昌幸,幸村親子が蟄居した九度山観光も外せません!

また高野山なら名所ならではの御朱印も記念になって、大河ドラマ真田丸では外せないアイテムで、記念になると思います。

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真田丸はこれから関白豊臣秀吉の死によって、いよいよ関が原へと進んでいきます。
そこで外せない歴史上の名所が

「高野山」

です。
まだまだ先の話になりますが、
真田丸は話数が進んでいくと関が原で敗れた真田昌幸、信繁(幸村)親子が蟄居を命じられたのが

「九度山」

です。
そこが出てくるのでチェックですね。

高野山ってどんなところなの?

高野山の開祖は「空海」(弘法大師)さまが開山した仏教の聖地です。
開山したのは

平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から下賜されたとあります。

宗派は「真言宗」ですね。

総本山は金剛峯寺(山号は高野山)で子院はなんと117か寺に及んでその半数が「宿坊」を兼ねているということです。
皆さんここで修行するわけなんですねえ~

2004年に

『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録されているまさに日本が誇る文化遺産です。

場所はwikipediaによりますと・・

和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置しているとあります。

結構高いところにあるんですね。

高野山へのアクセスは、南海電鉄の終着駅からケーブルカーに乗り継いで高野山駅まで。
そこからバスが出ているようです。

自動車でのアクセスはちょっとめんどいようです。
車で行かれる方はちょっと事前に調査してから置くことをお勧めします。

行ったら記念の御朱印も忘れずに!

高野山の奥の院って何があるところ?

高野山の久野院には戦国時代の武将の墓所が延々と2キロにも及ぶまさに歴史の名所です。

まあその代表格はなんといっても

「織田信長公」

でしょう。
さらに

「武田信玄公」
「武田勝頼公」

や、今やお隣さんでも天下分け目では敵同士だった

「伊達政宗公」
「石田三成公」

などもお墓が整然と並んでいます。

忘れたならないのが真田丸での重要な天下人の

「豊臣秀吉公」

の墓所もあります。
また総本山金剛峯寺には、豊臣秀次(二代目関白)が自害した「秀次自刃(じじん)の間」があるので見学できればそれも外せないかと!

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ということで高野山の奥の院という処は戦国大名のお墓が約2キロにわたってある墓所ということになります。

これこそ歴史を感じる場所だと言えますね。

高野山の九度山というのはどんなところ?

九度山は高野山の入り口に当たる北谷にあるようです。
その丘の中腹に

「真田屋敷」

があるようです。
関が原で西軍についた真田昌幸、信繁(幸村)親子はここに蟄居を命じられたわけです。

しかし当初は真田家ゆかりの

「蓮華定院」

に入ったのですが、そののちに九度山に入ったとされます。
どうやら随行の家臣団が50名以上になったためということのようです。

そこの建物は

「真田庵」

としてもちろん現在も残っています。

その時の生活費は真田親子を預かった紀州藩からの

「50石」

のみでどこにも足らず、兄の真田信之の松代藩に借金の援助を(勿論返すことはない)申し出ているようですね。

真田昌幸は1611年に亡くなりますが、その後は家臣団の殆どは、松代藩に帰ったとあります。

真田信繁(幸村)の元には高梨内記ら2~3名しか残らなかったようです。

がしかしこれからの真田信繁が、天下の真田幸村に代わっていくんですねえ~~

歴史とは斯くも面白きものなんです!!

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